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「朝まで生テレビ」
   投稿者:虚構世界内存在 投稿日: 04/01 Sat 01:34:41 [認識ID:DGgmHck]
「朝まで生テレビ」の内容、あるいはそれに関連したことを書くスレッド
<!-- Message No.001783-->

    [2] 2006年4月1日−格差拡大社会とニッポン  投稿者:虚構世界内存在 投稿日: 04/01 Sat 02:13:49 [認識ID:DGgmHck]
    格差があることそのものは悪くないという人の矛盾は、格差があることが当然である、あるいは仕方がないと認めている(格差があるのが仕方がないのであれば、経済的下層階級になるのは仕方がないということになる)にもかかわらず、経済的に下層階級に位置する人びとを抑圧しており、かつ社会貢献しなければならないという態度を示し、それを実行に移していることである。
    つまり、経済的階層を即座に社会心理的階層の生成に繋げているのである。
    そして、そうした人びとは自らを倫理的であると考えている。
    さらに、倫理の根拠は〔同調圧力を加えるとともに、他者からのそれに答えることが正しいとする〕感覚や感情にほかならず、したがって絶対化され得ないにもかかわらず、倫理を絶対化している(ここでは、少なくとも一般人の倫理の根拠が絶対であることは自明でない以上、それが絶対であると主張する場合には、それを証明する必要がある)。
    こうした重層的矛盾を露呈している人間に発言権などあるはずもない。

    反一般人プログラムによらない、負け組に対する抑圧や排除への批判の要点は、勝ち組が意識されるとき、負け組は必然的に生成されるというものである。
    その理由は2つある。
    1つは、現実に即して考えるならば、あらゆる社会において機会均等は実現されておらず、かつ企業は時間の経過とともに負け組生成の推進の程度を増大しているためである。たとえば、後者の企業に起因する問題について言えば、短期的に利益を確保するため、ならびに短期的に費用を低減させる目的で人を育成しようとしない傾向が強まっている。これに対しては、負け組が生成される根源的な原因は努力しないことであるという反論があろうが、過去のデータを信用するならば、それは完全にではないが誤っている。かつての日本人は長時間労働をしたということであるが、資本主義的価値観からすれば、これは単に効率と効果の追求が疎かになっていたということに過ぎない。
    もう1つは、勝ちと負けという概念は常に同時に現れるためである。すなわち、勝ち組を意識すればするほど、負け組により正確に焦点が当てられるようになる。たとえば、仮にすべての人間が現時点の共同上の主観による勝ち組になるという事態が起こったとしても、そのときには過去(たとえばこの記事が書かれた時点)の基準による勝ち組の下層が負け組へと変貌を遂げるであろう。もっと言うならば、その社会が勝ち組と負け組を取り上げ続ける限り、負け組が上方向に移行するのに合わせて、勝ち組はさらに上方向に移行するのである。

    高所得者から金銭を多く徴収することに正当性があるのは、上の勝ち組―負け組論争を見れば理解できよう。
    上の補足するならば、一時的にたとえば誰もが年間1億円を獲得できるようになったとしても、貨幣の価値が低下するため問題は生じるのだ。
    <!-- Message No.001785-->

    [3] Re:「朝まで生テレビ」  投稿者:虚構世界内存在 投稿日: 04/01 Sat 06:00:52 [認識ID:DGgmHck]
    この番組の長所は、司会者の田原総一郎が分かりやすくしてくれているところである。
    たとえば、今回「新自由主義」という語が出てきたが、多くの知識を持っている人びとがパネリストのほとんどを占めているため、それが自明であるということが前提になされていたように思う。
    ところが、田原総一郎は「そんな難しい言葉使っても分からない」と言い、さらに「新自由主義って何。自由主義とどこが違うの」と発言者に対して聞いてくれた。
    インターネット上をみるとそういうのを理解しているのが当然といった印象を受けるが、実際にはまだまだ各分野の専門用語を理解している人のほうが少ないというのが実情であるから、田原総一郎の方法は適切であると思う。
    それは、おそらく、分からない人びとを放置して先へ進むのであれば、テレビ番組といった、公共性の比較的高い形式を用いて公開する意味がなくなるためである(雑誌や書籍に対談として掲載すればいいということになだろう)。
    <!-- Message No.001786-->

    [4] Re:「朝まで生テレビ」  投稿者:虚構世界内存在 投稿日: 04/01 Sat 07:06:53 [認識ID:DGgmHck]
    よく「自らを負け組と認識しなければいい」と言われる。こうした主張に対しては、勝ち組の場合には矛盾するために主張する資格がないと言っておく。
    それは、第1に、負け組という概念は自己規定によって生成されたのではなく、ある種類の人びと(一部の傲岸不遜な上流階級と、下層階級に属するようになることを過剰に恐怖し、かつ上流階級におもねる精神を持った中産階級)が精神安定装置として創出したためであり、第2に、何らかの形で社会とのかかわりを持っているのであれば、他者からの影響、特に社会的排除や社会的抑圧といった否定的な影響を受けないということは(少なくともこの世界においては)あり得ないためである。
    この考えに反対する者は次の2つの事例について考えてみよ。
    (1)αは、社会的排除も社会的抑圧も受けることなく生きてきて、これといった苦労もなく、自分が満足することができる金銭(ここでは年収100億円としておく)を得ている自分を負け組であると本気で考えている。
    (2)ωは、無職であり、定住したいにもかかわらずそうすることができていない自分を勝ち組であると本気で考えている。
    そもそも、こうした事例を持ち出すまでもなく、負け組の「負け」という概念が他者との関係性を示していること、「勝ち」と「負け」という2つの概念が常に互いを伴って発生することを考えれば、わたしの見解が正しいと知れよう。
    <!-- Message No.001787-->




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