G紹介 2002年1月末。
大阪のとある神社の宮司の息子、鈴木心如斎とともに荒らし界に宣戦布告。
主に、心如斎を煽って攻撃させていたのだが、荒らし界の猛者たちに軽くあしらわれ戦争はあっけなく終結した。
その後、com.com(コムコム、あっきー、神薙)の文体に惚れ、今は亡き「北条com.comさんを囲む会」(彼の本拠地)に居座ることになる。
同時に、荒らし幕府に沙門として、入幕に成功。幾度も断られての入幕だったが、わずか数日で解雇され軽くショックを受ける。
2月になり、拠点を「北条com.comさんを囲む会」にし、荒らし幕府依頼板や荒らしの部屋で精力的に活動を開始。
この月には煽り王にして騙り王com.comに師事することになる。
3月、ひたすら覇道を進み続けたGはついに現在の煽り界の前身となる「神聖煽り帝国」を建国することになる。
煽神としてcom.comを迎え入れ、少数精鋭の煽り集団となる予定だったが、1つめのアカウントは1日で、2つめのアカウントもわずか2日で消滅することとなる。
4月には師のcom.comが荒らし界引退宣言をしたこと、功績をあげたこと等の理由により、aaa.comより「囲む会」の管理者に任命される。
奇襲荒死との共闘をはじめ、覇道を極めるのも間近かと思われた矢先に思わぬ攻撃を受けることになる。鉄処女部隊からの「態度がデカくなった」発言である。
いつのまにか自己満足に陥っていたGは、その言葉に反省し、原点回帰を試みるが、1週間ももたずに反省を解除し開き直る。
4月末には、第一線から退くことを表明し、活動規模を縮小した。
5月から6月中旬までは惰性で荒らし界に居座り、6月中旬には前期試験のことを考え引退宣言をしたが、やはり我慢できずに前期試験前に復帰することになる。
このころ、引退はゆかり幕府への不正アクセスが原因だ、と騒がれたが、実際のところは全くそういうことはなかったようである。
時は移り、8月になった。
1日からGが毎年の行事としている、フランス旅行を決行。
15日に帰国するも、このころから本格的に痛い発言を繰り返すようになり、荒らし界痛いランキングでは1位に輝き、「いと痛き者」、「電波の王」などと揶揄されるようになる。
全ての謎はG誕生の地、フランスにあるようだ。


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