さらさらと、葉の摩れる音がする。
 暖かい陽光を肌で感じたフェイは、閉じていた目を開けた。
 「さぁ、着いたぞ」
 「ここは…?」
 二人が降り立った場所は天井まで数十メートルはあるかと思われる大きな広間の中心だった。
 周囲に人の姿は見えず、まるでどこかの修道院のように、ひっそりとただ静かに時が流れている。
 「どうやら、暗黒黙示録の連中は居ないみたいだな」
 とても荒らし界隈にあるサイトとは思えない荘厳な雰囲気に、フェイは焔に視線を投げかけた。
 「ここは、歴史資料館。俺がまだ現役だった頃によく世話になっていた」
 「…なんの現役だ?」
 「ハッカーだよ」
 フェイの問いに答えつつ、来るのは数年ぶりだが変わっていないな、と少し嬉しそうに焔は笑った。



Good luck on your travel
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#12 歴史資料館




 ロの字型に作られた建物の中庭には、小さな噴水があり周りには木々が生い茂っていた。
 換気の為なのか、開け放しになっている部屋の扉の隙間からは、一番上の本が見えない程、背の高い本棚がところ狭しと並べられているのが見える。
 「ここは、一体なんなんだ」
 ただのデーターベースにしては量が半端じゃないぞ、と言うフェイに焔はニヤリと笑った。
 「表の世界の資料館なんかと一緒にして貰ったら困るぜ、ここの資料は特別なんだ」
 「特別…?」
 一番奥まった部屋まで辿り着いた焔は、そこだけしっかりと閉ざされていた扉の取っ手を掴むと、軋んだ音を立てるのにも構わず無理矢理開け放った。中に閉じ込められていた空気が一気に外に流れ出し、小さな渦を作る。
 「着いて来い」
 薄暗い部屋の中に二人は足を踏み入れる。
 そこも、今まで通り過ぎてきた部屋と同じように天井ギリギリまで本棚が立ち並び、まるで本の森林と見間違うかのような様子だった。
 「ここの資料が特別と言われるのには、それなりの理由がある」
 本棚の間を縫うようにして歩きながら、焔が喋る。
 彼は、近くに収まっている本を無造作に取ると、パラパラとページを捲った。
 「例えば、このページを見てみろ」
 「なんだ、これは…!」
 指で示されるままに焔が持っている本を覗き込んだフェイだったが、思わず目を疑う。
 何もない白紙のページだと思っていたそこにどこからか次々と黒い小さな塊が浮かび上がったかと思う間もなく、文字になり文章になり記録が残されていっているのだった。
 「今、リアルタイムで起きていることが、この本には書き込まれているんだ」
 「リアルタイムだと」
 「あぁ、UGに居る全てのPCのリアルタイムがここの歴史書には刻み込まれている」
 凄いだろ、と笑う焔に対して、フェイは信じられないと首を振る。
 「ま、普通はそうだよな」
 その反応も仕方ない、と肩を竦めた焔は手にしていた本を元の場所に戻した。
 「さて、黒死病の記録を探すとするか」
 「あ、あぁ…」
 再び歩き始めた焔に続いて、フェイも後を追う。
 5分程、本棚の迷路の中で二人は右往左往していたが、やがて「こ」の名前欄を見つけると駆け寄った。上を見上げれば、到底手では届かない位置に「黒死病」の本があるのが見える。
 「脚立はどこ行った」
 「あそこにあるぞ」
 少し離れた場所に埃を被ったままで放置されている脚立を発見し、フェイが担いで持ってくる。
 簡単な組み立て式のそれを作り登った焔は、「黒死病」の本の最新巻に当たる部分を引き出してきた。
 「いいか、俺の話をよく聞けよ」
 「なんだ」
 気が焦っているのか、早く内容を見せてくれと視線を送るフェイに、焔は落ち着けと言う。
 「こいつは、黒死病の本だ。そして、お前はフェイだ。もし、お前が記憶の無い黒死病なら、このUGにやって来たあとのフェイの行動が黒死病の記録として、この本に書き込んであるはずだ」
 「そう、なるのか…?」
 「あぁ、黒死病としてPCを登録してたのなら、上辺だけ名前を変えようとも中身は変わらないからな」
 どんなことが書いてあったとしても覚悟は出来てるな、と焔は最終ページに指をかけながら、フェイの顔を見る。フェイは、もちろんだと強く頷いた。
 「なら、開けるぞ」
 ぐっと力を込めて、最後のページを開く。
 二人の視線が注がれたそこに在ったのは、ごく簡単な文章だった。

 20xx年3月x日 座標119.987にてLOST
 20xx年9月x日 応答不在の期間が6ヶ月を過ぎた為、登録から削除

 「……、どうやらアンタは黒死病じゃないみたいだな」
 数年前で止まっている記録に、焔は残念だ、とだけ言う。それきり二人は黙り込み、沈黙がその場を支配したが、背後から聞こえてきたコツンという床を叩く音に、それは破られた。
 「こらこら、そこで何をしているんだい」
 「お、アンタは」
 振り返れば杖を持った白髪の老人が、にこにこと笑いながら立っている。
 見慣れないPCの出現にようやく本から顔を上げたフェイは、小さな声で呟いた。
 「彼は…?」
 「ここの管理人、歴史家だ」
 ちょっと、アイツに聞きたい事があるからこれを持っててくれと、焔は手にしていた黒死病の記録本をフェイに渡す。言われるままに本を受け取った瞬間、フェイの手と本の間に巨大な火花が散った。
 「なに!?」
 「いかん、本を離しなさい!」
 歴史家の叫びに本から手を離そうとするが、接着剤でくっついたかのように離れない。
 そうしている内に再び火花が散る、開いていたページから光が溢れ出したかと思う間も無く、フェイの足元に巨大な魔方陣が形成された。
 「メギド君、無理矢理にでも引き離してくれ!」
 「ったく、何が起きてるってんだ!」
 本に掴みかかったはいいが、流れ込んできた電流に舌打ちし一旦手を離す。
 「冗談じゃねぇな…」
 バチバチと帯電する己の身体を見て本気でいかして貰うぜ、と呟いた焔は白炎をグローブ状に両手に宿すとフェイの手と本をそれぞれ鷲掴みにした。
 「荒っぽいが許せよ!」
 両手に宿った炎が一気に大きくなり、小さな爆発を起こす。
 その衝撃でくっついていたフェイの手と本は離れ、少し離れた場所に弾き飛ばされた。
 「…ってぇ…!」
 軽い火傷を負った両手と未だ痺れる身体に焔は顔を歪める。放心したように本棚に寄りかかっているフェイに視線を送るが、外傷は特に無く無事のようだった。
 「一体…」
 「彼は、もしや未帰還者なのでは?」
 さっきの反応なんだったんだ、と聞く前に歴史家が口を開く。
 その内容に、焔は思わず耳を疑った。
 「なんで、分かった」
 「かつて、私の元に訪れた未帰還者が、自分のPCの記録に触った時も同じ事が起きた」
 「……、それじゃ、アイツはやっぱり黒死病なのか」
 だがそうだとしたら…、と口の中だけで呟きフェイに近寄ると、肩に手を伸ばす。
 「おい、大丈夫か」
 未だ微動だにしない身体をゆっくり揺さぶれば、大丈夫だ、と掠れた声で応えた。
 「そうか、ならいいんだが…」
 立てるか、と肩にかけていた手を離し目の前に差し出す。
 フェイはその手を掴むと、意外にもしっかりとした足取りで起き上がった。
 「焔」
 「なんだ」
 掠れている、けれど音のしっかりした声で名前を呼ばれ驚きつつも返事をすれば、俯いていたフェイが顔を上げる。その頬には一筋の涙が流れた跡があった。
 「俺は…、皆の言う通り…、黒死病だ」
 「……な!」
 「本に触った瞬間、黒死病の記録と感情が俺の中に流れ込んできた」
 少し離れた場所に転がっている本を見ながら、フェイは続ける。
 やはり、俺は黒死病だったんだ、と再度呟くフェイの言葉を、焔は待て待て、と遮った。
 転がっている本を取りに行くと、最終ページを開きながら戻ってくる。
 「もし、仮にお前が黒死病だったとしよう」
 だったら、この一行とお前の存在は相反することになる、と示された先には先ほど見た「200x年9月x日 応答不在の期間が6ヶ月を過ぎた為、登録から削除」という文字があった。
 「PCの登録内容を偽装することは簡単だ、だが、PC登録自体をしないでこのネットワークを動くことは不可能に近い。お前が、既に登録から削除されている黒死病と言うのなら…」
 「だが、それでも俺は黒死病なんだ」
 流れ込んできた記録と感情は、紛れも無く俺が体験したものだった。記憶が戻った訳じゃないが、それだけは間違いようの無い事実なんだ、と続けた彼に焔は唖然とした表情になると、乱暴に本を閉じた。
 フェイの頭からつま先までマジマジと見つめたあと、ポツリと言う。
 「一体、何でここに存在していられるんだ」
 登録から削除されたPCの未帰還者なんて、ありえないぞ、と彼は続けた。

 部屋から出たところで、焔はk3と八咫烏と鉢合わせた。
 「こんにちは、焔さん」
 「あぁ、珍しいな」
 他愛もない挨拶を交わし、中庭に足を進める。
 フェイは黒死病の記録を全て読みたいから、と部屋の中にまだ居た。
 素手で触れると先ほどと同じことが起きるというので、焔が蒼炎のグローブを彼の手に宿させていた。
 噴水の縁に腰掛けて歴史家が来るのを待っていたが、最初に通った時は開いていたはずの扉が閉まっている部屋があることに気が付いて、眉を潜める。
 k3と八咫烏が開けていったのかと思ったが、なんとなく好奇心が沸いた焔はその部屋へ向かった。
 開け放ってある扉から部屋を覗き込めば、やはり他の部屋と同じように本の森になっている。
 数メートルほど中へ足を入り、耳を澄ませば少し遠くから本のページを捲る音が聞こえてきた。
 自分とフェイ、k3と八咫烏と歴史家以外に資料館に人が居たことに驚いた焔は、一体誰なんだろうか、と忍び足で近づき、そっと本棚の影から顔を覗かせる。
 「…なっ!」
 そこに居た、考えすら及ばなかった人物の姿に思わず声が漏れた。
 「誰だ!?」
 自分以外の存在に気が付いたのか、本を捲っていたPCは手を止めると背後を振り返る。
 その瞬間、焔の首元で火花が散った。
 「…っ!?」
 常日頃から展開している防御装置が働いたことに、驚愕する。
 誤作動はありえないのだから、さっきの瞬間、首元目掛けて攻撃が繰り出されたはずなのだ。
 だが、まったく音も気配も無く、視認出来なかった。
 自分以外のPCだったら間違いなく首を落とされていただろう。
 そう考えて、焔は久しぶりに恐怖という感情を味わったが、驚いたのは彼だけではない。
 攻撃を繰り出したPC自体もまさか防がれるとは思わず、一撃で仕留めそこなったことに内心で舌打ちしていたのだ。
 「なんでアンタが…」
 見つかってしまった以上、逃げるわけにもいかず、焔は身を隠していた本棚から出る。
 そんな焔の様子を、PCは片手に本を抱えたままで見つめた。
 「なんでアンタがこんなところにいるんだ…、アリ…っ!」
 数年前に破棄されてしまったとあるPCの姿と目の前のPCの姿がそっくりだったこと、そして何より視認出来ない攻撃を繰り出してきたことに、本人だと確信した焔はとあるPCの名前を呼ぼうとする。だが、次の瞬間、PCの手から本が落ちたかと思う間もなく、焔は傍の本棚に叩きつけられた。
 「っ…!?」
 咄嗟に振り払おうとしたが、左手を取られると同時に口を塞がれて顔を近づけさせられる。
 「その名前、口にしたら殺すぞ?」
 本気の殺意が宿っている冷たい双眸に睨み付けられ、焔は固まった。
 自由なはずの右腕も何かに縛られたように動かず、PCの瞳を見つめることしか出来ない。
 「……」
 黙っている焔の様子を無言の了承と取ったのか、PCは近寄らせていた体を離した。
 後退し、先ほど落とした本を手に取ると白髪を揺らしながらさっさと部屋を出て行ってしまう。
 後に残された焔はしばしの間呆然としていたが、やがて、体を震わせてその場に腰を落とした。
 「冗談、じゃねぇ…」
 アンダーグラウンドのモットーは、「ありえないことはありえない」、だった。そして、焔はなによりそのモットーを理解していたが、今起こった出来事だけは心底ありえない、と思ってしまった。
 数分間、座り込んでいた焔だったがフェイのことをはたと思い出して立ち上がる。
 慌てて部屋から飛び出して噴水に目を向ければ、歴史家が縁に腰掛けているのが目に入った。
 「悪い!」
 どうやら待たせてしまったらしい、と焔は駆け寄りながら声をかける。
 とりあえず、先ほどの出来事は忘れて、今はフェイのことだけに集中しようと決めた。
 歴史家の隣に並ぶように座り、尋ねたかったことを聞く。
 「その、前に会った未帰還者はどうだったんだ」
 「彼も…、名前はリオカ君と言うんだが、同じようだったよ。自分だと思うPCを見つけたはいいが、やはり登録から削除されていた」
 「……そいつは、今も元気なのか」
 「時折、顔を見せに来てくれるよ」
 焔は前かがみになると肘を膝の上に置き、顔の前で手を交差させる。
 「信じられねぇな…」
 ポツリと呟かれた言葉に、歴史家はただ黙っているだけだった。
 「ログアウト出来ない未帰還者だと思っていたら、PCの登録すらありませんでした、か」
 ネットの世界では何かと突拍子も無い事が起きているが、これほど現実離れした話は無い。
 「ありえないことはありえない…、って言うけどなぁ…」
 自分自身を納得させるかのように、ポツポツと喋る焔に歴史家は今気が付いた、と言った顔で尋ねた。
 「彼を一人にしておいて大丈夫かい」
 「どういうことだ」
 「リオカ君の時、彼は酷く取り乱して、自ら命を絶とうとしたこともあった」
 「なに!」
 それもそうだ。現実世界に戻る為、ここまで生半可では無い旅を続けていたのだろう。その結果が、自らの存在すらも否定するモノだったのならば命を絶ちたくなったとしてもおかしくない。
 「何でもっと早く言わないんだ!」
 気が付かなかった自分も同罪だが、と思いつつ焔は急いでフェイの元に向かう。
 だが、部屋の前に辿り着く前に閉じられていた扉が開き、隙間からフェイが姿を現した。
 「あ…、あぁ、無事だったか」
 少し焦燥しているようにも見える姿だったが、一先ず無事だったことに胸を撫で下ろす。
 焔を見て、フェイはしばし視線を彷徨わせていたが、やがて口を開いた。
 「焔」
 「なんだ」
 「俺は、荒らし幕府に行こうと思う、付いてきてくれるか…?」
 遠慮がちに聞かれた内容に、焔は肩を揺らす。
 「ふん…、乗りかかった船だって言ったろ?」
 こうなったらとことん付き合ってやろうじゃないか、と拳を突き出せば、フェイは小さく笑ってみせた。



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