目覚めたフェイの視界に最初に入ったものは、青い空だった。 「……、寝ていたのか…」 いつの間にか自分が眠りに落ちていたことに気が付いたフェイは、起き上がると手を頭上にかざす。 際限なく広がる空へ伸ばされた手は浮かんでいる雲を掴めそうに見えたがまったく届かず、雲は穏やかな風に流されてただそこに在るのみだった。 風が靡き、フェイの髪が揺れる。 空には雲がまだらに浮かび、時折太陽を隠していた。 街外れの小高い丘の上で寝転んでいたフェイが何をするでもなく流れる雲の行方を目で追っていると、遠くからザクザクと草を踏みしめる足音が聞こえてきた。 音はフェイから数メートル離れた場所で止まり、遠慮がちな声が投げかけられる。 「ここ、いいかな」 「………」 声のした方に視線だけ動かして確認すれば、あの白髪灼眼のPCが居た。 初めて会った時から変わらない真紅の瞳を見ながらフェイは、黙って隣を指差す。 それに、安心したかのようの顔を綻ばせたリオカは、背負っていた木箱を草の上に下ろすと、一メートルばかり離れて腰を降ろした。 「ここは良いところだな、風が気持ちいい」 白い髪を揺らしながら呟く彼に、寝転んでいたフェイはようやく口を開いた。 「まだ、行商人もどきを続けてるのか?」 「もどきとは失礼なこと言うな」 彼の言葉にいささか気分を害し膨れっ面をしたリオカだったが、何かを思い出したのか木箱に手を伸ばすと引き出しの一つを空け、中から赤色の玉を取り出した。 空に向けてかざせば、光を受けて静かに輝く。 「ほら、こいつだよ」 「何がだ?」 「眼を赤色に変えるパッチ」 「……あぁ…」 初めて会った時、欲しがってただろ?と言うリオカにフェイは黙って首を振った。 「俺には、もうそれは必要無いんだ」 「そうかい」 彼の返事にリオカはつまらなさそうに呟くと、口を噤む。 赤色の玉を元の場所に戻してフェイと同じように草の上に身を投げ出すと、煙草を銜えた。 「なぁ、ここで何をしてたんだ?」 「別に何も」 「ははぁ、分かった。日向ぼっこだろ」 ぶっきらぼうに答えるフェイの言葉を勝手に解釈し、リオカは納得する。 それにフェイは一瞬だけ迷惑そうに顔を顰めたが、やはり何も言わずに空を眺めていた。 煙草の煙が風に揺られて消えていくのを見ながら、二人は黙って空を見る。 「……なぁ」 先に沈黙を破ったのは、リオカの方だった。 「俺達は、どこへ行くんだろうな」 あの雲のように当ても無く漂い続けるのかね、とリオカが言った言葉にフェイは、雲がどうして行き場所を決めていないと分かるんだ、と返す。それに、リオカは驚いたようだった。 それからしばらく、ぼんやりと空を眺めていた二人だったが、やがてフェイは立ち上がった。 「俺は、そろそろ行くぞ」 「次は、どこへ行くんだ」 リオカの問いに彼はにっこり笑うと、青い空に広がる雲を仰ぎ見る。 「別にどこへとも決まってない、風の吹くまま、気の向くまま」 「辛くはないか?」 「そんなことはないな。辛くなったら、その時は何かすぐに出来そうな目標を決めればいい」 「俺の言葉を取るなよ」 かつて、自分が言った言葉をそのまま返されたリオカはうんざりしたように言った。 フェイは笑うとその場を後にしようとする。だが、歩みを止めるとリオカの方に振り向いた。 「あんたは、まだ記憶を探す旅を続けてるのか?」 「そういうお前さんはどうなんだ」 銜えた煙草を揺らしながら、リオカは鸚鵡返しに聞く。 その問いにフェイはしばらく考え込んでいたが、やがてゆっくりと確かめるように言葉を紡いだ。 「俺は、俺である為の旅をしているつもりだ」 「黒死病として、そしてフェイとして、か?」 「まぁ、そんなところだ」 そう言ったフェイの瞳はかつての強い意志は宿していなかったが、代わりに何かを吹っ切ったかのような、穏やかな表情を見せている。 彼の変化に、リオカは羨ましいよ、と笑った。 「じゃあ、またな」 「あぁ、また…」 二人が別れた瞬間、今まで穏やかに吹いていた風が強く吹いた。 白髪を揺らしながら上体を起したリオカが背後を振り返れば、フェイがコートの裾をはためかせながら丘を降りて街に向かっているのが見えた。彼の姿が完全に見えなくなるまで、その場で待つ。 やがて、フェイを見送ったリオカは、空に向かって独り呟いた。 「……、お前さんの旅に幸運があることを」 その呟きは、どこへ流れるかも分からない風に乗って静かに消えていった。 Good luck on your travel フェイは、とあるサイトの前で佇んでいた。 中を覗けば、客と楽しそうに喋る男が居る。 「………」 声をかけようかとも思ったが、かけたところで彼と自分はもはや別人なのだから何も話すことは無いのだろう、と考え直して黙ってその場を後にした。 「あれ…?」 「どうしたの?」 窓の外に、かつての自分の姿を見た気がして男は首を傾げる。 だが、気のせいだろうと思い直して、不思議そうな顔する客になんでもないよ、と笑いかけた。 END |