硬い床に叩きつけられた衝撃で、フェイは意識を取り戻した。 季節外れの桜の花びらが目の前に落ちてきたのに、気付く。 「ここは、どこだ…」 掠れた声で呟けば、少し離れたところから含み笑いが聞こえてきた。 Good luck on your travel 「ようこそ、暗黒黙示録へ」 「暗黒…、黙示録?」 含み笑いの声が聞こえてきた方に視線を向ければ、そこには1人のPCが椅子に腰掛けていた。 ナチスの親衛隊かと思うような黒い軍服に身を包み腰まである金色の髪を垂らしている。瞳は軍帽に隠れてあまりよく見えないが、サディスティックな雰囲気を纏っていた。 笑ってはいるが明らかな敵意が発せられているのを感じ取り、フェイは警戒する。 向こうもフェイの変化に気が付いたのか、椅子から立ち上がると髪を揺らしながら近づいてきた。 「最近、私の命を狙っている輩が居るという情報を手に入れました」 フェイの前まで来ると、腰を降ろし手を伸ばす。 顎を捕まれ無理矢理上向けさせられたことによって走った胸の痛みに顔を歪めていると、PCは耳元に口を近づけて低く脅すような声で聞いた。 「貴方は…、私の命を狙っている輩でしょうか。黒死病さん…」 「何、だと…?」 『黒死病』 PCの言葉に、フェイは思わず目を見開いた。 このアンダーグラウンドに来た時から、誰かと間違われることがよくあったが、それが一体誰なのかは分からなかった。だが、このPCは、はっきりと自分を「黒死病」と呼んだのだ。 「俺は…、そいつに似ているのか」 ようやく分かった己らしいPCの名前に、平静を努めたが語尾が僅かに震えてしまう。 だが、軍服のPCは気が付かなかったようだ。 「そうですね…、多少姿は変わっていますが、纏っている雰囲気はあの時そのままです」 どうしてそんなことを聞くのです、と不思議がるPCを尻目にフェイは思考をフル回転させる。 自分の姿形が黒死病と呼ばれるPCと酷似している…、ならば、その男の記録を辿れば自分の失った記憶に繋がるだろうと考えた瞬間、心臓の鼓動が跳ね上がった。 とにかく、こんなところでグズグズしている訳には行かない、何とかしてここから脱出出来ないか、と目の前のPCを見る。 未帰還者だということを正直に話したところで、信頼されるわけは無いだろう。 向こうは自分のことを知っているようだったが、フェイはあくまでも初対面だという主張を貫き通すことに決めた。 「アンタの名前は何て言うんだ…」 「これはおかしな事を聞きますね。貴方なら、とっくにご存知のはずでは?」 「悪いが、初めて会うヤツの名前なんて分からないね」 「初めて…、ですか」 フェイの応答に、PCは訝しげに言うと立ち上がった。 先ほどまで座っていた椅子の元まで戻ると、傍に立てかけてあったランスを手に取り戻ってくる。 そして、その切っ先をピタリとフェイの喉元に押し当てた。 「すぐにバレる嘘を言うほど、貴方は愚鈍な人間では無いと思っていましたが…」 ヒヤリと金属の冷たい感覚が喉に伝わる。 「この状況で、嘘を付けるほど俺は賢くないぞ」 「………」 その気になればいつでも首を刎ねられる状況に置かれても、フェイは怖気付かない。彼の目にまっすぐに見据えられ、今まで眉一つ動かさなかったPCの表情に、僅かな戸惑いが生まれた。 「ならば貴方は、黒死病と良く似た別人と言うつもりですか」 「……そうだ。俺は、黒死病でもないしアンタの命も狙っていない」 実際、他人が自分を黒死病という名前のPCだと言っても、自分自身にはその記憶は無いのだから、嘘は付いていない。このままの流れで行けば逃げられるかも知れない、とフェイが淡い期待を抱いていると、脇の部屋の扉が開き、数人のPCが姿を現した。 「元帥殿、その男が嘘を付いているに決まってます」 「お前は…!」 その中に、荒らし幕府から強制転送された先で出会い戦った男の姿を見つけたフェイは、驚く。 彼の反応を見逃さなかった元帥と呼ばれたPCは、ランスをさらに首元に押し付けた。 「どうやら、$2のことは覚えているみたいですね」 「……しまった」 迂闊に表情を出してしまった自分に舌打ちするが、既に遅かった。 「私のことを忘れていて、彼のことだけ覚えているのは在り得ない。やはり、嘘を付いていたのですね」 「待て、俺の話を…」 「聞く必要などありません」 首元にあったランスが一旦消え去り、次の瞬間、フェイの脳天目掛けて振り下ろされた。 「貴方が黒死病ならば、この暗黒黙示録に災いをもたらすのは間違いありません。申し訳ないですが、再びここで死んで貰いましょう」 「くそ…っ」 せっかく、拾った命だというのにこんなところで終わるのかと歯を食いしばる。 だが、振り下ろされたランスがフェイの頭を貫こうとする前に、殺気を感じ取った元帥は一歩後ろへ引いた。どこから飛んできたのか酒の瓶が足元にぶつかり、派手な音を立てて割れる。 「なっ、どこから…!?」 「誰ですか!」 何者からの攻撃と思われる突然の出来事に、全員に緊張が走る。 姿の見えない人物に向けて元帥が叫ぶと、椅子の背後からやる気のなさそうな声が聞こえてきた。 「やれやれ、そいつはビンテージモノで高かったんだがね…」 「貴方は…!」 椅子の背に手をかけ、ゆっくりと身を起こした人物を見た元帥が驚く。 いつからそこに居たのか、現れたのは茶髪に赤目で白いジャケットに黒いジーンズを履いているPCだった。面倒くさそうに欠伸を一つ噛み殺したPCはニヤリと笑うと、手から炎を生み出すと放った。 「くっ…!」 直撃は避けたものの先ほど割れた瓶の中に入っていた酒に引火し、部屋全体に一気に火が廻る。 「全員、退避を!」 この火を消すのは難しいことを知っている元帥が避難の指示を出している間に、茶髪のPCはフェイに近づくと手を縛っていた縄を焼きちぎり、支え起こした。 「おい、しっかりしろ、大丈夫か」 「あんたは…?」 「焔氏…、何故貴方は私の邪魔をするのですか…!」 逃がしてたまるか、と元帥は近づくが、焔と呼ばれたPCが新たに生み出した炎の渦によって行く手を遮られ、憎々しげに二人を睨みつけるだけだった。 「邪魔も何も…、お前らのやり方が気に入らないだけさ」 それじゃ、失礼するぜ、と言った焔は片手を振り上げると今までとは比にならない爆炎を作り出し、目くらましの要領で部屋一杯に爆発させた。 「……なんてことを…!」 悔しそうに言う元帥だったがどうすることも出来ず、受身の態勢を取る。 爆風が収まり視界が開けた時には、既にフェイも焔の姿も無かった。 暗黒黙示録から離れ、界隈の路地裏に二人は降り立つ。 ここなら追っ手も気が付かないだろう、とフェイの身体を支えてた力を抜けば、そのままズルズルと座り込んだ。不思議に思い覗き込めば、胸元が真っ赤になっているのに気が付く。 「お前、この傷は…!」 Gehoo!Japanで黙示録の連中に襲われた時、最後の方の動きが怪しくなっていたのはこの傷を負っていたからなのか、と驚く。 「まったく、無茶する野郎だ」 意識を集中させ、手の平の炎を生み出す。 最初は橙色だったそれは、赤、青、白と色を変化させて行き、最終的に黒色の炎になった。 「この傷であそこまで戦えるのは、さすが黒死病と言ったところだな」 炎をそっと傷口に押し当てて呟けば、フェイが突然身を起こし焔の腕を取る。 「おい、急にうごく…」 「お前も、俺を知っているのか」 「何…?」 無理に身体を動かしたことで走った痛みに呻き声を上げるフェイに、だから言わんこっちゃない、と焔は肩を掴むと無理矢理地面に押し倒した。 「俺の炎は特別性でな、攻撃の他に治療にも使える」 だから、大人しく寝ていろと言う焔に、フェイは半信半疑の目を向けたが、自分に危害を加えるつもりなら暗黒黙示録から助け出したりはしないだろう、と考え直して体の力を抜く。焔が放った黒炎は、傷口の部分に集まるとゆらゆらと発光しながら破損したプログラムの修復を始めた。 「お前は、俺を「黒死病」だと思うのか?」 徐々に癒えて行く身体を見ながら、フェイは再度問う。 それに、焔は一瞬考え込んだのか押し黙ると、低い声で逆に質問した。 「なら、お前は何者なんだ?」 「……、俺は…」 「別人と言うなら、名前を教えてもらおうか」 その質問に、フェイは目を瞑ると深呼吸して言う。 「俺の名前は、フェイだ」 「ふん、フェイね」 聞いたことが無い名前だがな、と焔は続けると胸にかざしていた炎をフッとかき消した。 胸に手を置いてみれば、この短時間で治療したとはとても思えない程、見事に傷が塞がっている。 「俺はお前を黒死病だと思ったから助けたんだが…、別人だったとはね」 骨折り損だったのか、と肩をほぐしながら立ち上がった焔にフェイは待ってくれと叫んだ。まだ何かあるのかと嫌そうな顔を向ける彼に、しばしの間迷っていたが意を決して尋ねる。 「アンタは、黒死病を知っているんだな」 「あぁ…、あの野郎には世話になったからな」 「そいつの事を、教えてくれないか」 「知ったところでどうするんだ。まさか、黒死病になりきるつもりか?」 確かにお前の姿は黒死病によく似てるな、と笑う焔にフェイは訴えた。 「俺かどうかを、確かめたいんだ…!」 「…どういうことだ?」 要領を得ないその言葉に、焔は首を傾げる。 彼の手を掴んだフェイは、目をまっすぐに見つめながら言った。 「今から俺が言うことを、よく聞いてくれ」 フェイは、ネットの片隅で目覚めて以来記憶が無い事、ログアウトが出来ない事を含め、全てを話し始めた。最初こそ半信半疑の焔だったが、あまりに詳しい内容に信じざるを得ないな、と最後の頃には考えを改めていた。 「ようするに、お前は「自分だったはずのPC」を見つければ記憶が戻ってログアウトも出来る、と考えているんだな?」 「簡単に言えばそうなるな」 焔の言葉にフェイは頷く。 長い間ネットの合間を旅してきたが、ここまで赤裸々に話したのは焔が初めてだった。 それだけ、フェイの置かれている状況は危機的だった。 荒らし界隈に詳しくない自分が暗黒黙示録のPCに見つからずに移動出来るとは到底思えない。かと言って界隈から去っては記憶は戻らない。ここで界隈の住民らしい焔の協力を取り付けられなくては、記憶を探す旅は半強制的に終わりを告げることになる、まさに背水の陣だった。 全てを話し終わったフェイは、焔の反応をひたすらに待つ。 「ふん…、面白いな」 しばらくして考え込んでいた焔は顔を上げると、フェイの肩を強く叩いた。 「話には聞いていたが、実際に未帰還者が居たとはな」 立ち上がり両手から炎を繰り出すと、自らの周りに円を作ってみせる。 「これも何かの巡り合わせだろう…、どうせ暇だったしアンタの手伝いをしてやろうじゃないか」 「すまない…、恩に着る!」 待ちわびていた言葉に、フェイは深々と頭を下げた。 「なに、いいってことさ」 どうせ乗りかかった船だったしな、と焔が笑っていると背後から荒々しい声が飛んできた。 「おい、こっちに居たぞ!」 「回りこんで逃げられないようにしろ!」 二人が振り返れば数人のPCが武器を構えながら走ってくる。 「黙示録の奴らか…」 呆れたように呟く焔は、懐から簡易転送ゲートを取り出すとどこかのURLを打ち込んだ。 「とりあえず、この場は離れた方がいいな」 「そうらしい」 この場で戦うのは無意味だと分かっていたフェイは、彼の言葉に同意した。 先に入れと視線で言う焔に甘え、急いでゲートをくぐる。 「くそっ、待て!」 二人を逃がすまいと一人のPCが手にしていた槍を投げつける。だが、焔の放った炎の前に呆気なく叩き落とされると、道端に転がった。 「もう少しまともな攻撃プログラムを作るんだな」 この俺に叩き落されるなんて相当弱いぞと笑った焔も転送ゲートをくぐる。 暗黒黙示録のPCたちがその場に辿り着くよりも早く、どこかへ転送されていった。 |