「例えば君の話」 キツネはたくさんの事を知っているが、ハリネズミはデカイ事を一つだけ知っている。 「・・・何?」 「知らねぇか?」 計画を練っていたメギドの思考を遮ったのはいつものように湖月の一言だった。 だが今日の言葉はメギドの興味を引いた。 「お前の口から出る言葉とは思えねぇな・・・。受け売りか。」 「まぁ似たようなモンかな」 椅子に腰掛けて酒を呷りながら湖月は笑った。 その顕になった穏やかな目がどこか悲しそうだった。 キツネはたくさんの事を知っているが、ハリネズミはデカイ事を一つだけ知っている。 「あんたはキツネで、俺はハリネズミだ。」 「・・・ほう?」 「あんたは色んな事を知ってっけど・・・。俺は一つだけ、大事な事を知ってるからな。」 「デカイ事が大事な事だとは限らねぇだろ。う」 「んな事ねぇよ。デカイ事は大事な事だ。」 「なるほど、確かにてめぇのバカさ加減じゃ一つだけが関の山か・・・。」 彼は手にしていたペンを置いて笑った。 その笑顔に、湖月は安心したように目を細めた。 だがやはり悲しそうだった。 「確かに、俺は無駄に知識を集める癖がある・・・。知識は使う場所があってこそ宝だ。不要な情報は知識ですらない。」 珍しくメギドが話を続ける事を許した。 いつもなら、いや、実際、さっきまでは計画を練る邪魔をするなと怒鳴り、今にも湖月を自鯖から追い出してしまいそうだったのだ。 こういう事は珍しい。 それだけあの言葉はメギドをひきつけたようだった。 「例えばだ。てめぇはその言葉が誰の言葉か知ってるか?」 「いや?」 「そうだろうな・・・。出典さえてめぇの頭にはない。だが俺は違う。」 「知ってんのか?」 「誰に言ってるか、わかってんのか。」 「ああ、こりゃ失礼。あんたがが知らない事なんてねぇか。」 その軽口にはメギドは答えなかった。 まだ知らない事はたくさんある。 例えばこの世界の果て。 決して手に入らない答え。 それでも少しでも隙間を埋めたい。 その為に暗闇を彷徨っている。 知的探究心と言えばいいのだろうか。 だがそんな上等な物ではなかった。 もっと貪欲に、貪り食らうように知識を増やした。 何かから、逃れるように。 「で?」 「?」 「あれって誰の言葉なんだ?」 「・・・アルキロコス」 「あ?」 「アルキロコス・・・。抒情詩人だ。複雑な生い立ちの男だが、最後は戦場で命を落とした。 既成の伝統に対する反抗者だが、愛した女を謳った詩は古代文学史上どこにも見られないほどに優しい…。 その一方で、恋は男の理性を奪い、破滅に導く病であるという考え方が他の詩に一貫していた。 彼の精神の核は戦い。喜びは生の中にのみある、と考えていたらしい…。まぁ一言でいうなれば…」 「変わり者だ」 メギドはそう言い放って意地悪く目を細めた。 湖月を嘲笑うように。 湖月は銀色の髪に触れて肩を竦めた。 「まぁ、当たらずしも遠からずって感じだな。」 「フン。」 「でも俺は変わり者じゃねぇぜ。」 「自覚がないのは最も重い罪だな、湖月。」 「だったらあんたも重罪だぜ、な。」 即座に返された真剣な響きの言葉に、メギドは厳しい顔を取り戻した。 湖月はまた酒を口に運んでいた。何食わぬ顔で。 「・・・なんだと。」 「そう怒んなって・・・。図星さされて冷静でいられねぇのがあんたの悪い癖だ。」 「茶化すんじゃねぇ。」 鞭のような鋭い声。 だが湖月は動じる事はなかった。 「もう一度、言ってみろ・・・。」 「ん? ああ・・・あんたも重罪だって事か?」 「そうだ。俺に文句があるなら言えばいいだろう。てめぇはこの俺の片腕だ・・・。俺に意見できる唯一の立場にいるんじゃねぇのか?」 「あんたがそれを認めてくれればな。」 「・・・何が言いたい、おまえは・・・!」 「・・・あんたは、たくさんの事を知ってる・・・。知りすぎてる・・・だけど。」 肝心な事は何も知らない。何一つ。 「その自覚がねぇってのが、あんたの罪なんじゃねぇの?」 「バカバカしい・・・。俺が何も知らないだと? よく言えたモンだ・・・!」 勢い余ってメギドは湖月に本を投げつけた。 湖月はそれを受け止めると苦笑した。 とても、悲しそうに。 「あんたはキツネで、俺はハリネズミだ・・・。」 「だったら言ってみろ、てめぇが一つだけ知ってる、デカイ事ってのはなんだ!」 「あんたが・・・。」 あんたが、本当は寂しいって事。愛されたくて、愛したくて堪らないのに。出来なくて、苦しくて、寂しがってるって事。 目を見開くと同時に、メギドは湖月を殴りつけていた。 「出て行け」 「今すぐにだ!」 深紅の目は殺意さえ過ぎらせていた。 湖月は床に散らばったものを直すと、帽子を被りなおした。 「・・・あんたに必要なのは、無駄に知識を増やす事じゃねぇよ・・・。あんたに必要なのは・・・・・・。」 「黙れ!」 「・・・了解。」 ドアが閉まり、部屋に静寂が戻った。 だが彼の中を駆け巡る熱さは収まる事を知らない。 血液が逆流する。 苛立ちに任せて椅子を蹴倒し、きっちり固められた髪を掻き乱した。 唇を噛んでベッドに腰を下ろし、拳をベッドに突き立てた。 「くそっ・・・!」 何がデカイ事だ。 所詮、あいつの知っている事などたかが知れている。 何を言い出すかと思えば、そんな事か。 そんな事、なのに。 どうして笑い捨てる事が出来なかったのだろう。 どうしてこんなに心を乱されてしまったのだろう。 あんたが寂しいって事。 まるで癒すのは自分だと言わんばかりに。 あんたに必要なのは・・・。 自分だと言いたいのか。 「ふざけた事を・・・。」 ようやく体の熱が落ち着き、メギドは大きく息を吸った。 いつものように計画を立てなければ。 時間がない。 自分を生かす計画。 この世界の闇に飲み込まれないようにする計画。 これこそが自分の核。 終われる日を迎えるまで、生きる事が自分の最大の計画。 何にも乱されてはいけない。 自分が生きる為に奴を生かしている。 必要なくなれば消すだけだ。総て。総て。。 それなのに あんたはキツネで、俺はハリネズミだ・・・。 たった一つのデカイ事には、キツネの知識も役に立たないという事なのか。真理の前では脆い刃に過ぎないのか。 その問いは、しばらく彼の思考を支配し、彼を狂わせた。 「今のあんたに必要なのは・・・、小難しく考えず、受け入れる事だ・・・。そうだろ?焔・・・・。」 END |
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