そのサイトは、とても赤かった。 中世ヨーロッパの城を模している重厚で落ち着いた雰囲気の外観だったが、城の壁も外側の塀も赤一色に塗りつぶされていたのだ。 とてもサイトの外観とマッチしているとは思えない色に目を瞬かせながら玄関へ近づいたフェイは、扉の脇に埋めこられている表札を読み取る。 ― Welcom to Fuckin' Kingdom ― 大きい赤い文字で、そう書かれていた。 Good luck on your travel 軋んだ音を立てる扉を開けて、フェイはサイトの中へ入る。 途端に、ねっとりとした重たい空気が身体に纏わりついた。 明らかに先ほどまでとは違う空気になぜか懐かしい雰囲気を感じつつ、これが”アンダーグラウンド”かと再認識したフェイは奥に進む。 申し訳程度に調度品が置いてあるホールを足早に通り抜け、メインへと続くらしいドアノブを握った。 ゆっくり扉を開ければ、サイトの中心部と思われる空間が現れる。 そこは、20畳ほどの広さでやはり中世ヨーロッパの酒場のような作りになっていた。 あまり大きくないアンティックの丸テーブルと椅子が無造作に置かれ、カードや飲みかけのグラスが散乱しているのが見える。 そして、部屋には椅子に座っている男が一人と、バーカウンターの中に立っている男が一人居た。椅子に座っている男は机に足を投げ出し、器用にも分厚い何かの本を顔に広げて寝入っている。 扉を閉めれば、カウンターの中に居た男がフェイに気が付いたらしくにこりと笑った。 「いらっしゃいませ、ご注文はありますか?」 バーテンダーの格好をしている男は茶色の髪を僅かに揺らしながら、フェイに尋ねる。 それに不躾だとは分かってたが、敢えて質問で返答した。 「野暮なことを聞くが、あんたがここの管理人か?」 「えぇ、そうですよ。k3と呼んでください」 「俺は、フェイと言う」 カウンター席に座ったフェイの前に、氷で割られたウォッカが置かれる。注文して無いぞ、と視線を向けるとk3はどうぞ気にしないで下さい、と目配せをした。 下手に突っぱねても悪い印象を与えるだけだと考えたフェイはグラスを取ると視線で礼を言い、中身に口を付ける。 「……、見たところ初めてお会いする方のようですね。何をしにここへ来たんですか?」 ウォッカを飲み始めたことに安心したのか、k3が話しかけてくる。 酒を飲んでいて答えられないふりをしつつ、フェイは目の前の人物を観察した。 穏やかな声色とにこやかな笑みを浮かべてはいるものの、落ち着いた口調の裏に僅かではあるが敵意が入り込んでいるのを察して、紳士的な分余計に油断出来ない男らしい、との判断を導きだした。 口から離したグラスをテーブルに置いて、フェイは肘を付く。 「探し物をしていてね…、もうずっと見つからないんだが」 疲れたように言えば、k3が尋ねた。 「それで僕のところに来たんですか」 「あんたのところは「そういうもの」を取り扱ってるのか?」 「別にそういう訳じゃないですけど、ただ、データーベースなら沢山ありますからね」 グラスを拭いていた手を止め、視線を部屋の端に向ける。 「データーベースねぇ……」 k3の動作につられて、フェイもぐるりと部屋を見渡した。 入った時には気が付かなかったのだが、部屋の一角にk3が言ったデーターベースへ繋がるらしい扉が4つほどあった。その中の一つには銀色の錠がかけられていたが、あとの3つは何もされていなかった。 飲み干して空になったグラスにk3が代わりのウォッカを注ぎ入れるのを見ながら、フェイは聞く。 「あんたの趣味は、情報収集か」 「まぁ、そんなところですね。この世界じゃ情報は命ですから」 「あの様子じゃ、髄分を昔のもありそうだな」 「もしよかったら見ますか?あなたの探しているモノがあるかも知れませんよ」 優しく笑ったk3に、フェイは首を横に振った。 「いや…、あそこには無い。そんな気がする」 少なくとも錠のかかっていない部屋に探しているモノは無い、と第六感が告げていた。 フェイは、己の第六感をそこそこ信用していた。 長い間ネットワークを旅していれば、危険な状況の一つや二つには遭遇する。 普通のPCなら破壊されるか破棄しなければいけないような目に合っても、その度、第六感が働いたのか、ギリギリで助かっていた。記憶が無い分、本能的な部分が研ぎ澄まされているらしいと何度目かの危険を乗り切った時、ようやくフェイは理解した。 その第六感が、記憶に関係するのは錠のかかっている4番目の部屋だ、と告げていた。 新たに注がれたウォッカを飲みつつ、フェイは独り言のように呟く。 「もっとも、全部見せてくれるっていうのなら、話は別だけどな」 遠まわしに錠のかけられている部屋を見せてくれ、と伝えたフェイの言葉に、k3は口を噤んだ。 グラスの中の氷が割れて、カランと冷たい音を立てる。 音を聞きながら、フェイはk3の顔を観察するようにじっと見た。だが、彼の表情は今まで話をしていた時となんら変わりはなく、何を言うでもなく、いたって普通だった。 それに、埒が明かないと悟ったフェイは質問の矛先を変える。 「それにしても、ここは人が少ないんだな?」 フェイとk3の他には本を被って寝ている男以外、客は居ない。 たかから荒らし系の大御所的なサイトだと教えられて来ただけに、さぞかし沢山のPCが居るのだろうと思っていたが、そうでも無かったらしい。 肩すかしとまでは言えないが、どこか残念な気持ちがあるのは確かだった。 「まぁ、今は時期が時期ですからね。皆さん、もう少ししたら来ますよ」 「そんなものかね…」 はっきりしない返事に多少の疑問をフェイは感じたが、やがておもむろに立ち上がる。 その拍子に、羽織っていたコートの裾がふわりと揺れた。 「俺がここに来るのは、時期尚早だったらしいな」 「……、そうかも知れませんね」 落胆したような雰囲気を含むフェイの言葉に、k3はしばしの沈黙の後に相槌を打つ。 その時だった。 「k3さん!お邪魔しますよー!」 部屋に素っ頓狂な声が響き、一人のPCが扉を開けて入ってきた。胸にアニメキャラクターの絵がでかでかと刷られている白Tシャツに短パンという子供っぽい格好のPCだ。 「おや、G師。久しぶりですね」 「そう? そんな間、空いてないと思うけどなぁ」 PCの姿にk3は顔を綻ばせると、何か飲みますかと尋ねる。 自分の時とはまるで違う対応と会話の内容から、二人が親しいことはフェイにもすぐに分かった。 氷が解けきって薄くなったウォッカを一気に飲み干し、グラスを空ける。 Gと呼ばれたPCがカウンター席に座るのと入れ違いにその場を離れた。 「ごちそうさん。あんたの味は、悪くなかった」 「それはどうも。探しているモノが見つかると良いですね」 善意で言われたはずのk3の言葉に、僅かに引っかかるものを感じたフェイは眉を潜める。 穏やかな声からは、もう見つかりはしないのに、という嘲笑が重なって聞こえたような気がしたからだ。 だが、フェイはそれ以上深く考えるようなことはせずに、k3に背を向けた。 「なに、もう行くの? よかったら一緒に飲もうよ」 「いや、悪いが俺は急いでるんでな」 Gから投げかけられた誘いを断り、足早に歩を進める。 「また来て下さいね、フェイさん」 「考えておこう」 投げかけられた言葉に手を振れば、k3が笑ったらしい。 その気配を背中で感じつつフェイは一旦ホールへ出ると、「Bookmark」の札がかかっている扉の中へ消えていった。 彼が部屋から出て行ったのを確認したk3は、カウンターの上のグラスを流し台に放ると、傍にあった椅子に腰掛けた。疲れたようため息を吐き出せば、椅子に座って眠りこけていたはずの男が本をどけ、目を開ける。 「珍しい来訪者だったな」 「まったく…、狸寝入りしてたのなら助けてくださいよ。aaa.comさん」 狸寝入りがバレていたことに気が付いたaaa.comと呼ばれた男は苦笑いすると、本を閉じて起きた。 「あんたほどポーカーフェイスは上手くないからな、助けられなかった」 「そんなに上手くありませんって…」 「「見たところ初めてお会いする方のようですね」、なんて白々しい顔で対応する人が何を言うやら」 初めてどころか、何十回も顔をつき合わせていた仲なのにな?とカウンターまで移動したaaa.comはGと一席分スペースを空けて座るとブルーハワイ一つ、とk3に注文する。 それに、グアム産のなまこも入れますか?と、嫌味で返しながらk3は言った。 「別に、僕は嘘をついたつもりじゃないですよ」 僕が会っていたのは「フェイ」という男ではありませんでしたからね、と作ったカクテルにハイビスカスの代わりになまこを添えて出す。 「おいおい、本当に入れるなよ…」 まさか本当になまこを入れるとは思わなかったaaa.comが抗議するがk3は聞こえていないふりをした。 「ん? 何の話?」 「いいえ、こちらの話ですよ。それより、これ飲んでみませんか?」 「いいね、甘い物は大歓迎だよ」 二人のやりとりに、今来たばかりで状況が掴めないらしいGが尋ねるが、k3は作り置きのミルクセーキを出して彼の気を逸らせる。 aaa.comはというと、器用になまこだけを除けて中身に口付けていた。 「本人、かね」 「彼に似てはいますが…、どうでしょうね」 フェイの後姿を思い出しつつ、aaa.comは呟く。 いまいち確証が持てないのかk3は首を傾げたが、それはaaa.comも同じだった。 「一体、何を探しているのやら」 わざわざこんな裏の世界まで探しに来るのだから、よほど大切なものなのか。もしかしたらあの将軍に関係することなのかも知れない、とぼんやり考えているとk3がポツリと言う。 「でも、あの人ならどんなものでも無理矢理に見つけちゃうんじゃないんですかね」 その言葉にaaa.comはそうかも知れないなと曖昧に頷くと、カクテルを呷って飲み干した。 フェイは、「Bookmark」の部屋には入ったものの、あまりのリンクの多さに次に何処に行けばいいか混乱していた。だが、一つのサイトの名前に惹かれる何かを感じてそこへ移動する事に決めた。 次の転送先の名前は、Degradation。 |