目の前にそびえ立つ、閉ざされた城門を眺めてフェイは小さく口笛を吹いた。 細部にまで丁寧な掘り込みが入っている城門は、いかにも職人芸といった雰囲気を醸し出している。 こういう作品は嫌いじゃないと呟いたフェイは、しばし凹凸の模様を指でなぞっていたが、渾身の力を込めて城門を開け放つと、城庭へ入っていった。 フェイが飛んだ先は、室町幕府という名前の荒らし依頼系サイトだった。 管理人は今まで幾度となく名を変え姿を変え、この世界で生きてきた男、足利尊氏といった。 Good luck on your travel 時間が時間なのか、場内に人影はなくひっそりとしていた。 ザクザクとフェイが白砂利を踏んで歩く音が、大きく響く。 一応、といった程度に作られている二の丸の広場を通り抜け、本丸に辿りついたフェイは改めて城を見上げた。 小型だがしっかりとした造りの城が、月明かりに照らされて夜の闇の中に浮かび上がっている。 雲の無い空にぽっかりと浮かぶ月の光に城壁を白く輝かせ、その存在を主張していた。 己の威厳を誇示するかのような城の佇まいに、フェイはどこかで見たことがある景色だ、とデジャヴのようなものを感じた。 だが、それは一瞬の事で、彼の脳裏からその感覚はすぐに消えうせてしまった。 「ここは…、違うらしいな」 誰も居ないのをいいことに、独り言を呟く。 何か感じるものがここにあるのは確かだったが、決定的なものでは無いのも事実だった。 足を運んだのは無駄にはならなかったようだが、記憶と結びつくようなものは無いだろう、と考える。 だが、今までネット中を旅をしても、無くした記憶に関する手がかりは何一つ得られなかったフェイにとって、こんな些細なことでも気分が高揚するのは押さえられなかった。 夜の闇も一段と深くなり、そろそろ丑三つ時に差しかかろうとしている。 これ以上の長いは無用か、と別のサイトへ飛ぼうとした時、微かな音を立ててフェイの視界の端にあった扉が開いた。 「こんな夜更けに何の用だっていうんだ」 扉に凭れながらぶっきらぼうに言う、着流し姿のPCは見るからに不機嫌そうだった。寝起きなのか、肩口まで伸びている黒色のストレートの髪のあちこちに寝癖が付いている。 「俺は尊氏だ…、お前は?」 欠伸を噛み殺しながら、PCは管理人の名前を名乗った。 目元を擦りフェイを睨み付けるが何かに気が付いたのか、驚いた顔をすると庭に下りてくる。 近づいてくる尊氏に機嫌を損ねるのは賢くないな、と考えたフェイは口を開いた。 「特に用事があった訳じゃない。城があまりに綺麗だったから、近くで見てみたいと思ったんだ」 起こしてしまったみたいで申し訳ない、と謝る。 フェイの言葉の半分は嘘だったが、もう半分は本当のことだった。 月明かりの中で凛と立つ城は、日本人なら誰でもそう思わざるを得ない程、綺麗だったのだ。 「……そうか」 フェイの飾り立てない率直な言葉に尊氏は疑っているような表情をしたが、後に何も言葉を続けないので、横に並ぶと同じように城を見上げた。 しばらく二人は黙って城を眺めていたが、やがて尊氏が口を開く。 「この城は、俺の誇りさ」 そう呟く彼の横顔を見た時、フェイは再びデジャヴのような感覚に襲われた。 己の築き上げた城を見上げ満足そうに笑う、知らないPCの姿が脳裏に過ぎる。 唯一違ったのは、そのPCは着物姿では無く鎧武者姿だった、という点だけだった。 「なぁ、この城にモチーフはあるのか?」 「モチーフだって?」 「あぁ、造った時に参考にしたサイトとかだ」 フェイに唐突な問いに、尊氏は驚いたように目を丸くして腕を組むとしばしの間首を傾げていたが、神妙な顔付きになると城を見上げながら言った。 「そうだな…、一応は荒らし幕府って事になるんじゃないかな」 「なんだって?」 「初代荒らし幕府だよ。クポッ!氏の方だ」 閉鎖してもう随分と経つから忘れている人間も多いんじゃないかな。まぁ、俺はあの人に世話になったから忘れようとは思わないけどね、と続けられる言葉を聞きながら、フェイは顎に手を当て考えた。 見覚えのあった城の佇まいと、先ほど、脳裏に過ぎ去った鎧武者の姿を思い出す。 彼が一つの結論にたどり着くのに、さほどの時間はかからなかった。 「その、荒らし幕府ってところのアドレスを教えてくれないか?」 「それは構わないけど、サイト自体はもう閉鎖してるぞ?」 「それでも良いんだ、教えてくれ」 「っていうか、お前は知ってるんー…いや、なんでもない」 真剣に言うフェイに尊氏は不思議な顔をしたが、すぐに城へ戻った。 尊氏が戻ってくるまでの数分間、フェイは黙って城を見上げていたが、心の内は決して穏やかではなかった。脳内に連続して過ぎる、どこかで見たことのある景色に焦燥感を駆り立てられる。 尊氏が戻ってきた頃には、眉に深い溝が刻み込まれていた。 「ほら、こいつが荒らし幕府のアドレスだ」 彼が差し出した小さな紙には、短い簡単なアドレスが書かれていた。 倉庫の奥に記録としてだけしか残してなかったから探すのに手間取ったよ、と笑いながら言う尊氏に曖昧に頷いてみせると、すぐさまそのアドレスを直接入力した。 身体の周りに緑と青の転送ゲートが現れる。 性急な行動に驚いた尊氏が声をかけようとする前に、フェイは片手を上げると礼を言った。 「こんな深夜に突然来て悪かった。今度来る時は、昼間にしようと思う」 「あ、おい、お前の名前は……」 尊氏がフェイの名前を尋ねようと口を開くが、言い終わらない内にその姿は消えていた。 「……、他人の空似か?」 自分の知っているある男とフェイの姿が似ていたことに首を傾げるが、もし本人だったらさっきまでのようなやり取りは起きないし、荒らし幕府のアドレスを聞いてくるはずも無い、と思った。 だが、なぜか引っかかるものを感じた尊氏は、一度はフェイの後を追おうと荒らし幕府のアドレスを入力しかけたが、今の時間を思い出して諦める。 「一雨来るかもな…」 長い間平和すぎたからここらで嵐が起きるのも悪くない、と呟いた尊氏は場内へ戻っていった。 フェイが転送され、尊氏も消えたあとに残されたものは、闇の全てを照らし出そうとするかのような月の光と、その光に照らされて煌々と輝きを放つ白い城壁だけだった。 |