ゆっくりと目を開けたフェイは、自分が白い空間に浮いてることを知った。 先ほどまで居た東京アンダーグラウンドとは違いすぎる辺りの風景に、死んだのか、と思ったがそう考えた自分の意識がまだ存在していることに気が付いて、そうじゃないか、と思い直した。 ポケットから機械を取り出し座標を調べれば、探知できません、と言うメッセージが出る。 それにこめかみを押さえつつ、教えられていた東京アンダーグラウンドのアドレスを簡易転送ゲートに打ち込んだが、やはり、転送は許可されなかった。 「一体……」 なんだってこうも俺はどこかへ飛ばされるんだ、とため息を付きながらフェイは立ち上がる。 と、ネットポリスから受けたはずの傷が完全に治療されているのを知った。 「……なんだ?」 やっぱりここは天国か何かなのか?と周囲に視線を巡らせたフェイは、少し離れた場所に一人のPCが椅子に腰かけこちらを見ているのに気が付く。 「……お前は」 「やあ、また会ったな」 それは、フェイにUG-コネクトキーを渡しこの界隈に導いた、白髪灼眼のPCだった。 Good luck on your travel フェイは男に近づくと、率直に尋ねた。 「……あんたが俺をここに連れてきたのか?」 「まあ、そんなところだね」 ここはどこだ、なんで俺をここに連れてきた、傷の手当てをしてくれたのはあんたなのか、と他にも聞きたいことは色々あったが、フェイはその言葉を飲み込むと険しい顔をして言う。 「今すぐ、東京アンダーグラウンドに戻しても貰おうか」 「……、戻ってどうするんだ?」 「何?」 「記憶の無い過去の自分の為に、傷付くのか?」 「…お前……」 目の前のPCの口から出た言葉に、フェイはまさかと耳を疑った。 それに、男は薄く笑うと懐から煙草を取り出して火を付ける。 「あぁ、知ってるよ、お前さんが記憶を持っていないことぐらい」 ふーっと煙を吐き出せば灰色のそれは白一色の空間の中で嫌というほど目立ちながら、ゆっくりと上へ立ち上って消えていった。フェイが何故、と聞きたそうにしているのに気付き、口を開く。 「歴史家から聞いたのさ。ついでに言えば、俺とお前さんは同じだ」 告げられた言葉に、まさか、そんなことが、とフェイは驚いた。 「冗談じゃない。俺もお前と同じ、登録していない、現実に操作している人間が居ないPCだ」 「………」 普通の人間に話しても笑い飛ばされることを真顔で言うPCに、嘘じゃないと判断する。 第一、嘘だとしても何のメリットも無いことに気付き、フェイは彼の言葉を信用することにした。 黙ったままのフェイに、男は銜えた煙草を揺らしながら、続ける。 「俺も、お前と同じことを過去にしていた。記憶を探す旅ってヤツだな」 その過程でこの眼を貰った、と男は自分の灼眼を指差した。 「……、眼だと?」 赤く炎を宿した眼に、巷で言われている噂をフェイは思い出す。 そんな思考を察したのか、男はわずかばかりに肩を竦めると席を立った。 「普通のPCがこの灼眼をなんて呼んでいるかは知らないけどな、こいつは特別製なんだ」 「どう凄いと…?」 肝心な部分を話さない男に、フェイは先を促す。 「この眼はな、様々な暗号やパスワードを即座に解読し、ネットワークのどこへでも無条件にアクセスすることが出来るようになるんだ。国家機密レベルのプロテクトはさすがに無理だが」 「……そいつは…」 「俺は、自分が未帰還者だと思ったからネットワークの隅から隅まで歩いて記憶を取り戻そうと思った。その過程で、この眼を手に入れた。アクセス制限がある場所でも楽に入れるようになったのは良かったが…、結局、俺の記憶は戻らなかった」 手にしている煙草を見つめていた男は、小さく呟いた。 「俺は理解したんだ、お前と同じ立場だってことを」 「現実に操作している人間が居ないっていうことか?」 「そう、いわば人工知能のような存在だってことに、だ」 そう言った自分の言葉に自分でショックを受けたのか、男は口を噤んで眼を覆う。 フェイが辛抱強く待っていると、やがて男は顔を上げ口を開いた。 「なぁ、お前さんはなんで戦うんだ?俺から言わせて貰えれば、どんなことをしても記憶は戻らない。過去の記録を探り、自分だったPCの記憶を知ることは出来るが、決して戻りはしないんだ」 「……何が言いたい」 男の唐突な言葉に、フェイは眉を顰める。 「それなのに、お前は過去の記録を踏まえた上での今の自分には関係ない戦いに身を投じてる」 「俺に、戦うなと言いたいのか」 「そうじゃないが、無駄に傷つく必要は無いって言っているんだ。周りがお前を「過去の自分だったPC」として認識、期待してもそれに応える必要なんかないんだよ」 「あんたは…、焔と同じようなことを言うんだな」 フェイは男に近づいて肩に手をかけると、ぐいと引っ張り、自分の方に身体を向けさせた。 男の灼眼とフェイの黒眼が物を言わずに静かに激突する。 しばらく二人はそのまま睨みあっていたが、男が我慢できずに眼を逸らしたことにフェイは眉を伏せた。 「……話にならんな、東京アンダーグラウンドに戻らせてくれ」 踵を返し、歩き出そうとしているフェイに気付いた男は必死で呼びかける。 「なんで分からないんだ、お前はさっきまで死にかけてただろ。今度あそこに戻ったら本当に死んでしまうかも知れないんだぞ」 「それの何がいけない」 フェイは、背中を向けたままで応える。 男は理解できないと首を横に振ると、銜えていた煙草を投げ捨てた。 「だから、どうして記憶の無い過去の自分の為に戦うんだ。姿形は同じだとしても、もはや別のPCじゃないか。傷つかなきゃいけない理由が分からない」 男の問いに、フェイは歩いていた足を止める。 しばし逡巡し、何かを考えていたがやがて口を開いた。 「……、俺の名前は、フェイだ。そして、俺の昔の名前は、黒死病だ」 「……?」 突然の言葉に意味を汲み取れずに眉を潜める男に振り返って、フェイは笑った。 その笑みは、ただの純粋な笑みだった。 何も考えずただ笑いたいから笑った、そんな感じが伝わる微笑みだった。 「俺は、フェイでもあり黒死病でもある。俺は、記憶が無くなったしても、そのPCがしてきた過去の行動の跡は残っていると思っている」 床に転がっている煙草から静かに立ち上がる煙を見て、彼は続ける。 「例え、俺の記憶が戻らなかったとしても、記録に残された昔の俺の行動は、確かに今の俺に受け継がれている。周りの人間が俺を見て驚いたり、死神と呼んだりな。そう考えれば、黒死病と俺が別のPCだなんて到底思えないんだ」 「だけど、それはお前には記憶の無い…」 「あんた、名前はなんと言うんだ」 男の言葉を遮って、フェイが質問する。 それに、彼は一瞬言葉に詰まったのか黙ったが、自らの名前を口にした。 「……リオカだ」 告げられた男の名前に、フェイは目を細めた。 足元に転がってきた、まだ火の消えていない煙草を踏み潰せば小さな音と共に煙も消える。 「俺は、あんたを知ってるぞ。あんたの昔の名前を」 フェイの口から出た言葉に、リオカは目を見開いた。 「言うな!」 「……言わないさ、むしろ、だからこそあんたがそういう風に考えることも理解できる」 叫ばれた言葉に小さく頷いて、フェイは天を仰いだ。 「少しばかり荒らし界で有名になった、ただの黒死病だった俺とあんたじゃ、元のモノが違いすぎる」 何もないはずの天に、雲の陰を見たような気がして手を伸ばす。 「俺は、過去と決別したいあんたとは違って、黒死病だった昔の俺もひっくるめて今の俺として生きて行きたいんだ」 だが、そこに在るはずのないものを掴めるはずが無く、フェイの手は空を切るばかりだった。 「俺には……、理解できない」 フェイの言葉に、リオカは額に手を当てると椅子に座り込む。 掠れた声で呟かれる言葉に、フェイはだろうな、と相槌を打った。 「別に、無理して理解して貰いたいとは思わない。ただ、こんな俺に期待している現実の人間も居るんでね、そいつらの期待は裏切れないさ」 「死んだら終わりなのにか」 リオカの問いに、フェイはその時はその時だ、と笑うとコートの裾を翻した。 「ここからの転送ゲートを開いてくれ」 「………」 もはや何を言っても無駄だと悟ったリオカは、空間の設定を弄ると転送ゲートを出現させる。一度振り返って、黙ってゲートの中に入っていくフェイに、彼は話しかけた。 「……最初は、ただの暇つぶしのつもりだったんだ」 ゆっくりと言葉を紡ぐ彼の声は、僅かに震えている。 「だから、歴史家からお前さんのことを教えられた時、本当に驚いたし嬉しかった」 「………」 「やっと見つけた仲間だから、死なないで貰いたいんだ」 ポタポタと床に落ちる涙に、フェイは冷たい一瞥を送った。 「悪いが、俺はそんなくだらない仲間意識を持つ気はない。それに、生き残るつもりだしな」 「……っ」 歯を食いしばり嗚咽を耐えているリオカに、フェイは最後の言葉を投げかける。 「俺は行く、生きていたらまた会おう」 「……フェイ…!」 リオカが彼の名前を呼んで顔を上げた時には、既にそこには誰も居なかった。 張り詰めていた気が一気に抜けたのか、リオカは凭れていた椅子からずるずると滑り落ちる。 手を頭上にかざせば指の間からどこまでも続く青い空と際限のない太陽の光と自由気ままに流れる雲が見えたような気がして、彼はそっと目を瞑った。 |